テンミニッツTV|有識者による1話10分のオンライン講義
ログイン 会員登録 テンミニッツTVとは
社会人向け教養サービス 『テンミニッツTV』 が、巷の様々な豆知識や真実を無料でお届けしているコラムコーナーです。
DATE/ 2017.08.08

尊皇の志士の気骨を示した「鉄道の父」井上勝

 その技術力の高さ、そして「安全神話」を生むほどの確固たる安全性を世界に誇る新幹線、そして、日本の高速鉄道。その源には、明治時代に鉄道建設に生涯をかけた井上勝の存在があります。時に、その風貌から親しみをこめて「井上おさる」と呼ばれた日本の鉄道の父について、歴史学者で東大名誉教授の山内昌之氏が敬愛をこめて語ります。

徹底した現場主義で進めた鉄道建設

 長州藩武士であった井上は、弱冠20歳でイギリスに渡りました。「渡った」といっても、それは脱藩したうえでの密航だったのです。近代国家・日本への志を胸に、井上はロンドンのユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンで鉱山・土木・鉄道技術について学び、帰国後は政府の技術系官僚のトップとして、鉄道建設にとりかかります。

 「安全とは何か」を常に第一と考えた井上の仕事は徹底した現場主義でした。明治7(1874)年に鉄道頭(後の鉄道大臣にあたる地位)についてもなお、鉄道敷設にあたっては、直接現地に出張して指揮をとったと言われています。乗客の安全・安心と快適な旅を提供するために、実際に自ら現場を見て進める仕事の仕方は、一歩も譲れないものだったのでしょう。

強固な信念で有言実行を貫いた気骨の人

 山内氏は、井上が、こうと思ったら一歩も引かない強固な信念の持ち主であったことを、いくつかの事例を挙げて紹介します。

 井上は、「日本の工業が外国の技術に依存したままでは、国の安全保障もおぼつかない。自国の技術力、工業力で鉄道建設を推進することは、人々の生活のためになるばかりでなく、国防の観点からも重要だ」と考えていました。だからこそ、心血を注いで鉄道建設に取り組んだのです。明治16(1883)年当時、東京と関西をつなぐ幹線鉄道は内陸の中山道ルートに決定していました。しかし、井上は「陸上の往来の中心はずっと東海道だった」と断固主張し、東京-京都間、さらに大阪、神戸へと伸びる、現在の東海道線につながる幹線鉄道を完成させました。

 また、鉄道事業は利益が生まれなくても人々の便益のために供するべきものとして、国有化論を唱え、鉄道敷設法の法制化も実現させました。しかし、民営化こそ鉄道の発展に寄与すると主張する企業家や政治家などの反対派によって、法案は大幅に修正されるという事態を招きます。これに怒った井上は鉄道庁長官を辞任したのですが、辞してなお、蒸気機関車の国産化のために合資会社を設立するなど、鉄道一筋の信念を曲げませんでした。

 そして、さらに新しい知識を得るために再び渡英し、ロンドンで病死した生涯は、元長州藩の尊王攘夷の志士らしい気骨に満ちたものといえます。

21世紀につながる「長州ファイブ」の足跡

 実は、冒頭に述べた井上の密航には、同じく幕末長州藩の志士である4人の仲間がいました。東京大学工学部の前身である工部大学校を設立した工学の父・山尾庸三、貨幣鋳造で日本の近代化に寄与した造幣の父・遠藤謹助、明治政府の中核を成した井上馨と伊藤博文。後に「長州ファイブ」と呼ばれ日本の近代化に大きな足跡を残した人たちです。

 この長州ファイブが持ちかえった知識や技術、とりわけ井上勝、遠藤謹助、山尾庸三らのような、人々のより良い暮らしに寄与した民生家たちの業績は、今の私たちの便利で安定した生活に直結していると言ってよいでしょう。

 世界一安全と評価される技術だけでなく、世界各国から視察にくるほどの新幹線の清掃サービス、正確無比のダイヤ。こうした全てに行き届いた快適さ、利便性を追求して止まない姿勢もまた、現代日本が井上ら明治の民生家から受け継いだ遺産なのではないでしょうか。
~最後までコラムを読んでくれた方へ~
物知りもいいけど知的な教養人も“あり”だと思います。
明日すぐには使えないかもしれないけど、10年後も役に立つ“大人の教養”を 5,300本以上。 『テンミニッツTV』 で人気の教養講義をご紹介します。
1

『失敗の本質』より先に指摘した日本型組織の弱点

『失敗の本質』より先に指摘した日本型組織の弱点

『タテ社会の人間関係』と文明論(7)日本型組織とリーダーシップの問題

日本軍研究で知られる『失敗の本質』よりも前に、日本型組織の弱点を指摘していた『タテ社会の人間関係』。日本の軍隊と英米の軍隊を例にとって、人間関係を重視する日本型組織の特徴を鋭く指摘、さらに法然と弟子の話を取り上...
収録日:2024/05/27
追加日:2024/09/19
2

オウンゴールも!?ロシアにとって許しがたいNATO拡大の背景

オウンゴールも!?ロシアにとって許しがたいNATO拡大の背景

ロシアのハイブリッド戦争と旧ソ連諸国(1)ロシアの勢力圏構想とNATO拡大

長期化の様相を呈しているロシア・ウクライナ戦争。ウクライナに対してロシアが仕掛けているのは、多角的な手段を用いた「ハイブリッド戦争」である。それはいったいどのような戦略なのか。本シリーズ講義では、まずはこの戦争...
収録日:2024/07/25
追加日:2024/09/18
廣瀬陽子
慶應義塾大学総合政策学部教授
3

人の資本主義とは――新しい人間像と現代資本主義への警鐘

人の資本主義とは――新しい人間像と現代資本主義への警鐘

人の資本主義~モノ、コトの次は何か?(1)「人の資本主義」とは何か

「人間とは何か」「資本主義とは何か」、この二つの問い、その概念は歴史の上で常に変化し続けているという中島氏。「人の資本主義」は人と資本主義の合成語だが、両者を結合するとどのような反応がもたらされるか。今よりもよ...
収録日:2024/04/11
追加日:2024/07/27
中島隆博
東京大学東洋文化研究所長・教授
4

どうすれば「最高の睡眠」は実現するか…健康な睡眠とは?

どうすれば「最高の睡眠」は実現するか…健康な睡眠とは?

「最高の睡眠」へ~知っておくべき睡眠常識(1)健康な睡眠のための方法

人生の約3分の1を、人は寝て過ごす。人間にとって不可欠な「睡眠」について、まだ分かっていないことが多く、睡眠ストレスや寝不足に悩む人は多い。現代人はどのように生活すれば最高の睡眠を得られるのだろうか。その前に、そ...
収録日:2021/06/23
追加日:2021/09/14
西野精治
スタンフォード大学医学部精神科教授
5

生物学的性差と文化的ジェンダー概念の入れ子構造の難しさ

生物学的性差と文化的ジェンダー概念の入れ子構造の難しさ

ヒトの性差とジェンダー論(5)生物学的性差と文化

第二次世界大戦下、その影響で飢餓が続いたオランダで集団としてそのときに生まれた男の子にゲイが多いという話がある。それは母親が極度のストレスを受けた生物学的影響だというが、一方で日本の戦国時代のような戦場で見られ...
収録日:2024/05/18
追加日:2024/09/16
長谷川眞理子
日本芸術文化振興会理事長