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DATE/ 2021.09.16

『山本七平と「仕事の思想」』から日本人の働き方を見直す


 「働き方改革」という言葉がすっかり耳に馴染むようになった昨今、それでも日本人の〝働き過ぎ〟はすぐに改善されそうにありません。1990年代には「24時間戦えますか」という言葉が流行語大賞に選ばれることもありました。日本語の「過労死」は、英語圏でもそのまま「karoshi」と言われるほど。死ぬほど働いてしまうという事例は、世界でもなかなか珍しいことです。

 しかし、どうしてここまで日本人は働き過ぎてしまうのでしょうか。戦後教育のせい? 現代社会の仕組み? 国民性が勤勉だから?…その理由はさまざまに語られますが、この日本人の「仕事観・労働観」の原点に着目していた研究者がいました。その名は山本七平。今年2021年で没後30年を迎えますが、この機に彼の「仕事の思想」を読み解く一冊が発刊されました。それが、大阪学院大学経済学部教授である森田健司先生の著書『山本七平と「仕事の思想」 私たち日本人の「働き方」の源流へ』です。

日本の「仕事の思想」を研究した山本七平

 さて一般的に、日本の近代は明治維新以降、西洋文化が取り入れられてからと思われていますが、森田先生は本書のなかで、日本の近代の境目は「判然としない」としています。西欧における近代は、市民革命、産業革命の遂行によってはじまるとされていますが、日本の歴史にはこれに該当するものがありません。しかし、他のアジアの国々に比べ、明治以降の日本は急速な発展を遂げたのです。森田先生は「少なくとも江戸時代の後期には、技術的指導さえあれば、いわゆる近代的な産業に対応できる労働者が育っていたとする他ない」としています。

 では、江戸時代の労働者たちの「仕事の思想」とはどんなものだったのでしょうか。山本七平は、戦争を体験し、高度経済成長やバブルを経験した人物でもあります。そんな彼は、日本の「仕事の思想」をどう捉えていたのでしょうか。

 森田先生は、「山本七平(一九二一~九一)とは、一言で表現するならば『日本の本質』を解明することに命を賭した人だった」と語っています。「〔『空気』の研究〕が名著として知られ、ここで言う『空気』とは、まさに『空気を読む』の『空気』です。日本人はこの『空気』に支配されやすく、それが長所であり短所であると示した人物でもあります。加えて森田先生は、彼について「日本人の『特質』の基礎は、他ならぬ江戸時代に作られたという認識である」と記し、この「特質」が、働くことへの意識や思想にも影響を与えているとしています。

 山本七平はこの日本の「仕事の思想」をひもとくにあたり、戦国時代の末期から江戸時代初頭にかけてキリスト教の修道士となった不干斎ハビアンと、江戸時代の初期の曹洞宗の僧侶・鈴木正三、江戸時代中期の思想家・石田梅岩という3人の人物のつながりと、そこから梅岩が開祖である石門心学の発展を重要視しています。本書でも、一章から三章にかけて彼らの生涯やその思想を取り上げ、その思想の流れが説明されています。

日本文化の根底にある「日本教」

 山本七平の語る「仕事の思想」の源流は宗教にありました。彼は「日本教」という造語を作ったことでも知られている人物ですが、この「日本教」は、さまざまな文化を輸入して独自に変化させ受け入れる、日本人が聞けば何となく納得してしまう思想や文化のことです。中国の漢字が平仮名と片仮名になったり、西洋料理が独自のアレンジをとげたりするなど、これまでの歴史のなかでも、あるいは身近なことでも、さまざまな事象が挙げられます。そして、これは宗教においてもそうでした。最初に登場する不干斎ハビアンはまさにそんな「日本教」を体現した人物です。

 「ハビアンは、キリスト教の都合のよい部分のみ剥ぎ取って、自身の精神に纏い、それをキリスト教と主張していたのである。これは、決して遠い時代だけの話ではない。現在日本においてもこのような傾向は続いている」と、山本七平は論じているのです。とくに宗教においては自然崇拝の影響が強く、日本に輸入されるとどんな宗教も〝似ているなにか〟に変わってしまうわけです。彼はこの自然崇拝を意味する「自然(ナツウラ)」と、自身の苦悩や問題を社会ではなく自己に向け、内側にある人間性や仏性を発現させようとする「心学(ソウロロジイ)」が合わさり、日本の「仕事の思想」は成り立っていると説きました。

「仕事=救済」、江戸時代にできた「仕事の思想」

 こうした文化や思想のなかで、鈴木正三は「個人の境遇を「所与」のものとする思想」と、それから派生した「仕事=宗教的修行」という考え方を生み出します。続けて、岩田梅岩は自身の思想に則り「人は〔労働によって食を得る『形』〕に生まれついたがゆえに、労働に励むことこそが、天理に従う『自然』なあり方なのである」と解釈します。

 森田先生はこれを「『なぜ自分が、現在置かれた状況で懸命に働かなくてはならないのか』という疑問を、人が触れられない場所に持ち去ってしまうと換言してもよい。残された選択肢は、懸命に働くか、そうしないかの二つだけである」としました。「成仏=救済」とする正三の仏教思想と、人としてその時代と場所に生まれたことを天からの「理」として従い生きる梅岩の思想は、勤勉な労働者を生むにはふさわしい組み合わせだったのです。つまり、「仕事=救済」になるわけです。梅岩が開祖となる石門心学はその後、広く江戸時代の庶民にも広がりました。

日本資本主義の父・渋沢栄一の「仕事の思想」とは

 本書の最後に登場するのは、山本七平が上記三名の流れを受け継いでいると考えていた渋沢栄一です。2021年NHK大河ドラマの主人公でもあり、「日本資本主義の父」ともいわれる人物。もちろん、渋沢の思想は多くの労働者に影響を与えたといって過言ではないでしょう。実際、渋沢は宗教から距離を取っていた人物ではありますが、その一方で正三や梅岩のように「天命に安んずる」といったことを人々に説いていました。

「渋沢は、『天命に安んずる』とは、自らに与えられた仕事を懸命に行うことと捉えていたが、その際には私利と公益が一致するよう、心を砕くべきと説いていた」と、森田先生は説明します。さらにここで登場する「私利と公益」について、「公」とは「皇国」つまり天皇が頂点にいる日本のことだったとしています。

 渋沢の時代には、被支配者は徳川幕府から明治新政府へと替わりますが、徳川時代から続いた思想を、討幕を志したこともある渋沢は受け継いでいるのです。「よい部分を剥ぎ取り纏う」という「日本教」のスタンスは、「仕事の思想」のなかにも根付き、時代を変え、思想家を変え、つながり続けているといえるのかもしれません。そして、それは現代にも同じことがいえるということです。

休んでいると不安だと思ったら一読を!

 ということで、本書から山本七平の「仕事の思想」について説明をしてきましたが、いかがでしたか。

 ところで、西洋の人々がバカンスで1か月ほど休むという文化があるのに対して、日本人は休んでいると不安に苛まれる人も多くいます。本書のなかでも、「不安の解消するために働いてしまう日本人」のエピソードが登場するなど、日本人と仕事のあり方は、西洋のそれとはまた異なる形を持っています。

 結果には必ず原因があるもの。「どうしてこんなに働いてしまうんだろう」と、時折頭を傾げてしまう方は、一度本書を手に取ってみてはいかがでしょうか。もしかしたら、自分の働き過ぎの原因や、周囲の環境を成り立たせている「空気」の存在、自分のなかの思想に客観的に気づくことができるかもしれません。

<参考文献>
『山本七平と「仕事の思想」私たち日本人の「働き方」の源流へ』(森田健司著、PHP研究所)
https://www.php.co.jp/books/detail.php?isbn=978-4-569-85032-0

<参考サイト>
森田健司先生のブログ:ありべかかり雑記帳
http://megamouth.sblo.jp/

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