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なぜ日本は「M&A」が下手になったのか?

海外M&A成功の条件(4)日本におけるM&Aの歴史

概要・テキスト
日本では第二次世界大戦の折に、国による統制経済化が社会の隅々に浸透したため、民間のM&Aの気運がしぼんでしまった。さらに共同体論的な「日本的経営」の伝統が確立したため、M&Aは「乗っ取り」というネガティブな感情ばかりが強くなり、M&Aが持つ買収のダイナミック・ケイパビリティが、うまく発達しなかった。だがもはや、統制経済型の人がやってうまく行くほど、世界は単純ではなくなった(全5話中第4話)
※インタビュアー:神藏孝之(10MTVオピニオン論説主幹)
時間:09:46
収録日:2019/07/02
追加日:2019/09/17
キーワード:
≪全文≫

●「乗っ取り」と呼ばれていたM&A


神藏 日本におけるM&A元年は、2005年と言われています。そのあたりの歴史を少しお話しいただけますか。

谷口 株式会社論で非常に碩学の岩井克人先生が、2005年は日本にとってM&A元年だと言われています。この年、ライブドア事件がありました。堀江貴文さんがニッポン放送の株を買った。日本でM&AやM&A用語が非常に浸透する、いいきっかけになったわけです。「コーポレートガバナンス」や「会社は誰のものか」といった話が1つのきっかけになったと思います。

 それ以外にも、ペンタックスがHOYAを買収したり、楽天がTBSに買収を仕掛けたり、あるいは村上ファンドが阪神に仕掛ける、ザ・チルドレンズ・インベストメントが電源開発(Jパワー)の株を大量買い増しするなど、M&Aに関する話題が非常に取り上げられた年が、2005年でした。

 ただ、それ以前に溯る(さかのぼる)と、昔はM&Aは「乗っ取り」と言われていました。城山三郎さんの小説にも『乗取り』という実話をもとにしたものがあります。財閥解体後、三菱の丸ノ内の土地は、陽和不動産と関東不動産か持つことになりますが、これに目を付けた藤綱久二郎という人物が、陽和不動産の株を買い占めるのです。これはまずいということで三菱財閥の長老たちが集まり、買われた株を高値で買い戻します。

 1952年(昭和27)のことで、再び同じような買収や敵対的な乗っ取りが起こらないよう、防御策として株式持ち合いが始まります。株式持ち合いのきっかけとなった事件です。

 その翌年には、ホテルニュージャパン火災事件でも有名な横井英樹さんが、百貨店の白木屋を敵対的買収するという事件がありました。これは途中で頓挫して、最終的に東急の五島慶太さんが白木屋を引き受けて事態は収束しますが、M&Aはすでに「乗っ取り」と言われ、ネガティブに見られていたのです。

 さらに溯ると1889年頃、当時大阪にあった北浜銀行の頭取が、中小企業の多い紡績業の競争力を付けるため、合併させて大きくしようと考えたことがあるようです。そこで行われたのが、M&Aの嚆矢(こうし)と言われています。

神藏 北浜銀行は、そんなことをやっていたのですか。

谷口 そういう話がありました。その後も日本には多数の電力会社が過当競争をやっていた時代があり、そこでもM&Aの歴史があったと思います。

 ただ、大きな流れとして...
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