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2つの主題を対比する交響曲を超克し、1つの旋律で多様に

伊福部昭で語る日本・西洋・近代(5)西洋音楽の型の超克

片山杜秀
慶應義塾大学法学部教授/音楽評論家
概要・テキスト
映画「ゴジラ」(1954) ライヴ・シネマ形式全曲集
(和田薫 指揮 日本センチュリー交響楽団 〈アーティスト〉 )
近代西洋では複数の要素を複雑に構成することがレベルの高い音楽だとされたが、「西洋の没落」が見え始めるとともにその傾向は見直され、1つのものを重視する方法に回帰していく。「複数の要素を構成する」とはどういうものか。また、それがどのようなものに移り変わったのか。ベートーヴェン「交響曲第5番」(いわゆる「運命」)、伊福部昭の出世作となった「日本狂詩曲」第1楽章などを聴きながら解説する。(全8話中5話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
時間:14:28
収録日:2023/09/28
追加日:2023/12/09
カテゴリー:
≪全文≫

●戦時中の「アジア的なもの」とは


―― 今、「アジア的なもの」や、もともとがどうだったのかについてのお話になりました。確かに明治に日本は開国し、西洋の文化が入ってくる。その中で、近代的な教育を受けているわけですし、音楽も西洋のものが入ってくる。明治はそうですし、とりわけ昭和の戦争の時期はそうだったと思います。

 では、アジアとはいったい何なのだろうか。日本とはいったい何なのだろうか。当時でいうグローバリズムで西洋文化が世間を席巻していく中で、自分たちとはいったい何なのだろうか。無理にスーツを着ても、やや違和感がある。そういった違和感の中から紡いでいったものがあると思います。それが非常に先鋭的に、おそらく昭和10年代の戦争の期間は、日本の知識人も含めて直面したことでしょう。当時の日本人たちが、特にアメリカと戦う、イギリスと戦うという空気の中で考えた、アジアなり日本というものはどういうものだったのですか。

片山 これもまた、いろいろな考え方があり、当時の日本の中でも大変いろいろな方向性が出てきているので、一概には言えません。

 ですが1つは、音楽にフォーカスして考えると、楽譜をきちんと書いて、オーケストラや和音、リズム、拍子など、そういったこと自体が作為的であるというものです。

 これは伊福部昭さんの立場より、もっと先鋭化している。何でも全て即興で、古代インドのような雰囲気で、皆が無心になって勝手に楽器を演奏したりする。伊福部さんはそういうものを楽譜に書いたということなのですが、「楽譜などもういらないのではないか、楽譜を書いて一生懸命それを演奏しているということが、すでに西洋近代文明的であって堕落している」といった極端な民族音楽学者もいました。「それが本当のアジアなのだ。大東亜共栄圏の音楽というものは楽譜もいらなくていい。全部即興でいいのだ」といったことを言う人まで現れたわけです。


●複数のものを複雑に組み合わせれば「レベルが高い」?


片山 もう1つ、これは伊福部さんにもやや近いところがあるのですが、西洋近代の音楽は複数のものを論理的に構築し、組み合わせるといったことを一生懸命行う、そういった考え方(ややこしく複雑に作れば作るほど立派なのだという考え方)がある。それはベートーヴェンの交響曲を聴くとよく分かります。

―― そのベートーヴェンの例ですが、...
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