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松下幸之助の経営の土台にあるのは人生観や人間観

生き続ける松下幸之助の経営観(2)人生観と人間観

江口克彦
株式会社江口オフィス代表取締役社長 /元参議院議員/PHP総合研究所元社長
概要・テキスト
松下幸之助は、経営者であるとともに思想家であり、人間観や人生観に裏打ちされた経営観を持つと、株式会社江口オフィス代表取締役社長の江口克彦氏は語る。彼が亡くなって30年たった今でも語られ続けているのは、それが土台となっているからである。(2018年5月31日開催日本ビジネス協会JBCインタラクティブセミナー講演「生き続ける松下幸之助の経営観」より、全12話中第2話)
時間:10:34
収録日:2018/05/31
追加日:2018/10/14
≪全文≫

●松下幸之助は、経営者であるとともに、哲学者・思想家でもある


 皆さんは、松下幸之助さんは経営者だと考えていると思います。しかし松下幸之助さんは、実は哲学者であり、思想家です。それはなぜかということを、経歴から考えてみます。松下幸之助さんは、和歌山県の海草郡というところの、ちょっとした子金持ちの家に生まれました。父親は村会議員でした。しかし、父親が米相場に手を出して失敗し、持っている田畑を全部売り払って、4歳の時に一家離散状態になってしまいました。

 松下幸之助さんの家族は両親と8人の兄弟でした。松下幸之助さんは、三男であり8人兄弟の末っ子でした。しかし、4歳の時にこの家がつぶれてしまい、兄弟のそれぞれが和歌山市内や大阪市内の方向に出て、離散状態になってしまいます。

 そして一族は、その離散の前に結核にかかっていたと思われます。当時は、結核にかかると、それはすなわちほとんど死を意味していました。実は松下幸之助さんは、10代の時に、次から次へと家族が亡くなってしまいました。お姉さんの一人は20代の頃ですが、お父さんが亡くなり、お母さんが亡くなり、お姉さんがなくなり、お兄さんが亡くなると、1年のうちに2回お葬式を行うということが数回あるような状態でした。

 松下幸之助さん自身は9歳で大阪船場の火鉢屋に奉公に出されます。そこがすぐにつぶれたので、その後は自転車に奉公にいきました。その時、家族のお葬式に出たのか、私は聞いたことがあるのですが、あまり記憶にないとおっしゃっていました。おそらく出られなかったのだろうと思います。それにしても、離散した家族が亡くなったという話が次から次へと入ってくるわけです。そのような知らせが、多感な10代の幸之助少年に何を考えさせたかといえば、それは、死とは何か、生とは何か、人間とは何か、人生とは何か、そういうことだったのだと思います。でっち奉公をしながらも、そういったことに関心が強かったのだと思います。


●松下幸之助の経営の土台にあるのは人生観や人間観


 そのことに関するエピソードは数多くあります。

 松下幸之助さんは23歳から事業を始めたのですが、昔のことを知っている人たちと何人か話したことがあります。その方たちの中には、松下幸之助さんと道ばたですれ違うのが嫌だったという話をする人がいます。その人は、向こうから松下幸之助さんが来ると...
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